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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2023年12月02日

作家・富士正晴さんが暮らした町~高槻城下町・馬町~


高槻城下町 馬町あたりの風景


富士正晴記念館

高槻城下町に馬町というところがあり、現在は自治会名として残っています。
その馬町の町家に一時期、作家の富士正晴さんがお住まいになっていたと言います。
晩年は茨木市内、竹林の家にお移りになったので、そのイメージが強いようです。

先日、富士正晴記念館(茨木市立中央図書館にある)を訪れ、
馬町の町家で撮影された写真を拝見してきました。(展示されています)
現存する町家がその住まいだったのではないかという話について、
所見(私見)としては、「わからないが、可能性はある」ということです。
階高は不自然ではないが、窓廻りの形状が異なる。
改修履歴などを引き続き調べてみる必要がある。
という感じです。

資料館の皆様、ご協力ありがとうございました。

帰り道、夕日も橋を渡ろうとしていました。


  
Posted by 高槻町家2015 at 16:51Comments(0)マチヤ・テラス

2023年11月19日

マチヤ・レポート追記2~湿式工法から乾式工法のまちなみへの置換~


上の写真は大阪府内某所のまちなみ変遷


今どきの住宅の壁面構成 オレンジ色の部分が外壁仕上(外装材) 躯体の外に張り付ける

マニアックな話が続いています。
ふたつ前の記事の補足説明です。

昔から日本では古くなった家屋は適当なスパンで改修したり、あるいは建て替えたりしてきました。
まぁ、それが当たり前だったと思います。
だから古い町家をこわして新しい家に建て替えることは、「悪」だとは思っていません。
それが住まい手にとっては、昔から続いてきたごく自然なことと思えるからです。

ではなぜこうもまちなみは変わったのか。

昭和戦後のある時期までは、家を建て替えても江戸時代とさほど変わらない工法と材料でしたから、
建て替え後も、あまり建物外観に変化がなかったはずです。
しかし、ある時期から工法と材料が変化します。
つまり、工業製品である外装材を躯体の外側に張り付けるような工法が増えていった。
そうなると建物の外観も大きく変わりますし、当然、まちなみも変化します。

昔ながらの土壁、漆喰、モルタルなどで壁をつくり仕上げる場合、水を使ってこねます。
湿っているので「湿式工法」と言います。
これに対して、
最近主流の工業製品(工場で加工される鋼材、窯業系材、樹脂系材など)の版(板)状の外装材(ボード、サイディングなど)を
現場で金物などによって取り付ける場合、水気がないため、「乾式工法」と言います。
家を建て替えたり改修したりし続けているのは、
昔も今もあまり変わらないはずですが、工法と材料が変わったということです。
工事現場で左官屋さんがコテて壁などを仕上げている姿をあまり見かけなくなったのはこのせいです。
(玄関アプローチとか駐車スペースの床のコンクリート舗装の仕上くらいですかね。
 コテ使ってるのよく見るのって。たまにほんまもんの左官仕事見るとテンション上がります)

これが、ふたつ前の記事にある、
湿式工法のまちなみから乾式工法のまちなみへの置換(更新)がすすんでいる
ということです。

なお、今の工法でも、ボートの上にモルタルを塗ってコテ押えしたりすることは、よくあります。

長い文オンパレードおそれいります。
これで今回のマチヤ・レポート2023、一応ペンを置きます。(とは今は言いませんよね)
  
Posted by 高槻町家2015 at 17:07Comments(0)マチヤ・テラス

2023年11月18日

マチヤ・レポート2023 追記~内圧と外圧~



高槻における町家調査について補足説明します。

町家まちなみ調査の1期では城下町の目抜き通り沿道だけを先行的に調査しています。
調査開始の2008年当時、「高槻に町家なんてあるのか」とよく言われたし、
また、城下町であることも忘却され気味でした。
つまり、町家が認知されている今とはまったく状況が違っていました。

このため、まちのどこにどのような町家がどういう状況で残っているのかを早期に調査して、
町家が確かに残っているという事を多くの人に知っていただく必要がありました。
そこで、城下町目抜き通りを抽出して、取り急ぎマチヤ・テラスで調査しました。
1期調査とマチヤ率算定対象の範囲(前記事の添付画像)が限定されているのはこういった当時の事情によります。

結果として、高槻城下町にも有力な町家が相当数残っていることがわかりました。
つまり、高槻町家の存在が証明されました。

引き続き、2期調査では西国街道芥川宿の町家を調査し、
一時的に横山家住宅の登録文化財への登録作業に取りかかり、無事に登録後、
3期調査で城下町全域の町家を調べ終えました。それが2013年12月頃です。

町家調査の結果は2014年、行政にご提供した後、出版して一般に公開しています。(添付画像はその一部)
また、調査時に知り合った町家にお住まいのみなさんと行政との橋渡しもしています。
節目で何度か朝日新聞でも記事にしていただき、また市の広報でも取り上げていただきました。
それらを契機に高槻町家の認知度がどんどん高まったという印象を抱いています。
(ご協力くださったみなさん、ありがとうございました)

高槻は城下町です。
このことを思い出し、城下町であることを根本に据えてまちづくりをすることが望ましい。
高槻の高槻らしさがよりわかりやすくなると思うのです。
城下町を大切にする。そのためには町家も大切にする。そして、その先には城があってほしい。
城と城下町は不可分で一体のものとして整えるべきです。

先行してまちに入り、まちの人々の意識を温め、内圧を高めておく。
そして、いつか行政が施策的に城下町や町家に取り組む、それを外圧と例えるなら、
外圧がかかる時に、内圧が高まっていれば、より一層効果が増す。
町家調査を始めた時からずっと意識してきたことです。
15年経った今、ようやくその時が訪れようとしているでしょうか。

町家調査をしていた当時、地元の方から「役所が今さら何しに来たんや」とお叱りを受けたものです。
私たちも同じ市民だとお話しするとみなさんとても協力的に接してくださることが多かった。
そのようにして出会った町家のみなさんのご苦労もたいへんなものがある。
残っている町家は少ない。少ないからこそまちの財産として守るべきだと思う。
役所頼みに聞こえるかもしれませんが、維持を完全に個人の負担に任せていては、
町家が一軒また一軒と耐え切れずに消えていくと思えます。
みなさんのご苦労が多少は報われる日が来るだろうか。
そうであることを切に願っています。

近年、高槻城由来の鉄線が絶えかけていることに気付いて、
見つけ出し、守り、そして後世に伝えると言う活動に取り組んでいます。
現在は増やす段階に移行しており、絶滅の危険は回避できたと思われます。
明治維新後150年ほどで今回、鉄線の花が絶えかけた。
次の100年、150年後、また同じような状況が起るかもしれない。
そうならないように市民も行政側も伝承していく必要がある。
忘れれば絶えるのは花も町家も同じです。

10年(15年)前からの比較検証を踏まえてお話しできる人も少ないと思い、ここに書かせていただきました。
(文がながい、ながながすぎる・・・)
マチヤ・テラスi  
Posted by 高槻町家2015 at 18:00Comments(0)マチヤ・テラス

2023年11月11日

高槻城下町、十年後の町家調査~マチヤ・レポート 2023~報告書版




 2013年冬に町家(外観悉皆)調査を終えて10年になります。(出版公表は2014年)
 そこで経年変化を調べるべく十年後の追加調査を実施しました。
  ・日時:2023年10月3日(火)14:55~17:30   
  ・場所:高槻城下町全域
  ・方法:外観目視による悉皆調査。町家等の現況を確認。(特に撤去されたものを確認)

●調査結果:

1.城下町全域でこの10年(厳密には15年)の間に撤去(除却)された町家等の軒数

   古い形式の町家 10軒(江戸時代からの古い形式を比較的引き継いでいた町家)
   昭和(戦後)住宅 16軒(戦後築と推察されるが上部構造が伝統構法であった和風住宅)
合計    26軒

2.マチヤ率の算定(経年変化確認)*1期調査範囲(城下町の目抜き通り=添付画像参照)を対象として算出
   マチヤ率(%)=町家敷地間口の合計 M(m)/街路延長 L(m)×100
    *註記:街路延長 L=街路に面する各敷地間口の合計(←道路の総延長とは異なる)
         数値はCAD計測による概算

 今年:今回のマチヤ率(2023年10月3日現在)*現存町家を再計測
 マチヤ率 20.5% ←5軒に1軒(2013年からの除却軒数 8軒)

 10年前:3期調査終了時(2013年12月)
 マチヤ率 27.6%←4軒に1軒

 14年前:1期調査終了時(2009年3月)
 マチヤ率34.1% ←3軒に1軒
  *当時、マチヤ・グラフを作成してマチヤ率を求めた。(「マチヤ・テラス通信2010夏号」)

3.考察
 ・城下町全体で(主に江戸期明治期の)古い形式を残す町家は10年前に比べて10軒減っている。
  件数としては少ない印象を受けるかもしれないが、除却された町家の中には、高槻町家の典型事例と思われたものや、
  城下町の歴史を物語る貴重な町家、歴史景観上貴重であった町家などが含まれている。
  また、元々町家の絶対数が少ないこと、直近3年程度以内に除却されたケースが多い点は看過できない。
  (相続、空家対策、災害被害の事情によって町家が消えるペースは加速する傾向にあると推定)
 ・古式の町家撤去後の現況:駐車場3/マンション3/戸建1/戸建分筆3/未利用1(14年前からの変化)
  マンションは相続前後に土地売却、戸建ては所有権が不変(or身内が相続)のケースが多いと推察される。
  所有権移転後は早期に除却して建て替えに至るが、同一所有のまま準空家の事例(2軒)は14年間変化がない。
  戦後築の伝統構法住宅は戸建て住宅として建て替えられる傾向が顕著。(例外:老人福祉施設1/コンビニ1)
 ・結果的に町家が2軒以上並び建つ場所がきわめて少なくなっている。
 ・城の北側、主に川之町、新川之町、馬町、魚屋町などに多く現存する傾向は変わりない。
 ・大型の町家は比較的維持されているものの、2018年の大阪北部地震、台風、あるいは経年劣化による破損を
  修繕できていない町家も見受けられる。すでに修繕済みの町家も所有者のご苦労がしのばれる。
 ・昭和(戦後)築で伝統構法による住宅のほうがむしろ建て替えサイクルが短い傾向が見てとれる。
  「湿式工法のまちなみから乾式工法のまちなみへの更新」がさらにすすんでいる。*これについては別途お話しします。
 ・1期範囲マチヤ率は20%を維持しているが、歩いていて5軒に1軒、町家に出会うイメージに減じている。
 これらのことより、現存する町家維持への公的補助実現が早期に求められる。

この調査結果は高槻市にも説明して、公的補助実現のために提言しました。(10月末~11月初旬)

記:マチヤ・テラスi

  
Posted by 高槻町家2015 at 15:24Comments(0)マチヤ・テラス

2023年10月22日

和歌山県美浜町の風景



ちょうど一年ほど前から和歌山県内のとある漁村集落の民家について調べていました。
結構、特徴があっておもしろいので、またお話しできれば。
甍の波、坂の向こうに島と海が見えます。
いい景色です。

  
Posted by 高槻町家2015 at 17:51Comments(0)マチヤ・テラス

2023年10月14日

吹田市岸部町の民家調査1



吹田市岸部町。
大阪からほど近いまちに古い民家がたくさん残っています。
江戸時代の村の風情。
3年ほど前の調査では茅葺の民家も21軒ほどありました。
それがどんどん減っています。
今回は経年変化を調べています。

古い民家を建て替えてしまうのがわるいとは思いません。
古いものを新しくする。
私たちはこれまでもずっとそうやって暮らしてきました。
ただ、残っているうちに記録しておきたいと思います。
古い家をつぶす以外に再生するということもあり得ます。
そのための基礎資料にもなるはずです。




  
Posted by 高槻町家2015 at 16:54Comments(0)マチヤ・テラス

2023年10月07日

高槻城下町、十年後の町家調査~マチヤ・レポート2023~




2013年冬に町家・まちなみ調査を終えて10年になります。
先日、久しぶりに高槻城下町を歩いて町家を見て回りました。
少人数でお互いに仕事を抜けての調査でした。

この10年の間に城下町全体で姿を消した町家は、
・古い形式の町家:10軒ほど
・昭和(戦後)住宅:16軒ほど
という感じです。

かつての目抜き通りでのマチヤ率は
10年前の27.6%から20.5%に低下していました。
歩いていて4軒に1軒の町家があった状態から
5軒に1軒に減っている感じです。

マチヤ率についての説明など詳しい調査結果はまたお知らせできればと思います。
とりあえずの速報でした。

城下町の高槻小学校は今年150周年。
おめでとうございます!

  
Posted by 高槻町家2015 at 17:25Comments(0)マチヤ・テラス